学校をやめるっていう選択肢もある
休学
去年、休学して、いろんなところに行って、いろんな人とあって、価値観がパァと広がった。
というよりは、なんていうんだろ。
大きな湖の、一滴の範囲の世界のことしか知らなかった。
知らなかったし、その一滴が、自分の中での全世界だった。
学校を卒業して、
就職して、
誰かと恋愛をして、
結婚をして、
子供ができて、
子供を育てて、
子供が旅立って、
仕事を退職して、
てもちぶさたになって、
公園でゲートボールなんてしたりしながら、
この世界からの旅立ちを意識しはじめて、
そして還っていく。
こうやって人々が歩んでいく。
とおもっていた。
でも休学の一年を通して、この用意された、整備された、道を歩んで行くことがすごく無味乾燥な気がするようになった。
自分のこのような価値観の変動には、色々な本たちが一役かってくれた。その中でもアルケミスト。
「彼らは僕を信頼していて、もう自分たちの本能に従うことをすっかりわすれている」アルケミスト
「世界最大の嘘って何ですか?」
「それはこうじゃ、人は人生のある時点で、自分に起こってくることをコントロールできなくなり、宿命によって人生を支配されてしまうことだ」アルケミスト
「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりも辛いものだとお前の心にいってやるがよい。」 アルケミスト
「ほとんどの人は、世界を恐ろしい場所だとおもっています。そして、そう思うことによって、世界は本当に恐ろしい場所にかわってしまうのです」 アルケミスト
学校
そんなこんなで、学校に戻ってきた。
教室には30人くらいの人が詰め込まれていて、何か圧迫感がある。先生の口から出ることはアカデミックな、専門的な内容なこと。数式や専門用語がズラリ。以前と違って全然頭にはいらない。字、もはいらない。先生の声、もはいらない。そして授業中に本を読んじゃダメって人もいるし、トイレに行かせない先生もいる。
そしてそんな空間にいると、自分の中の「生命の火」みたいなものが、ぐーーんって低く、ちいさくなっていっていることをかんじる。
おれは、あんなところに行きたい、あんな本を読みたい、あのことを勉強したいのに、学校にいくと
「これこれを覚えておきなさい!」
だったり
「実験のレポートをいついつまでにやっておきなさい!」
って言ってくる。
今までは、自分の内側の声を聞かないふりをして、無視するふりをしてきた。(ふりしかできない)
でもこの前ふと思っちゃった。
「なにやってんだおれ。。」
その瞬間、怒りを感じたときみたいに、身体がボワァァって熱くなって、バッドエネルギーが全身を駆け巡って、叫びたくなった。
でも学校をやめた後を想像すると、とってもとってもとってもとってもめちゃくちゃ不安になる。
今までは「学生」という衣があった。けど学校をやめると、その衣を捨てて、1人の人間として社会とぶつかって行かないとだめだから。
そうすると、急に自信がなくなって、萎縮して、心配になる。不安になる。
「あぁ、学校続けた方が自分の気持ちとかは一旦置いといて、色々楽だよなぁ」
こんなことを心の中でつぶやく。
でも不安って感情は、何かにチャレンジしようとしたときに必ずついてくるもの。
不安を抱き抱えたい。
「お!おれいま不安感じてる!よっしゃ、チャレンジできてる!」
みたいな。笑
学校をやめるっていう選択肢
正直、確信を持って、やりたい!っていえることはない。
でも「やりたくないこと」「居心地の悪いもの」を貴重な時間をつかってわざわざする必要はないとおもってて。
だから、身勝手だけど
「これ!と思えるやりたいことはない。でも、興味のあるものはたくさんあるし、行ってみたいところも、したいこともたくさんある。だから自分を信じてあげたい。いつかこれ!と思える『なにか』がポッと現れるでしょ。」
というスタンス。
そんな理由なら、学校卒業してからでいいじゃん、後少し我慢しろよ、っていう意見が出るだろうけど、
「鉄は熱いうちに打て」
っていうし、いま感じていることや、いま興味を持てていることは、いま、しないとだめなような気がして。
Today is good day to die
今日は死ぬのにいい日だ。
これはネイティブアメリカンのデニスバンクスさんの言葉なんだけど、俺は毎日そんなことを言えるような1日1日を送りたい。
このまま二年間、学校に通い続けると、自分の心が機能不全になって、フニャフニャになりそうで、とっても怖い。