インドで感じたこと
2.16〜3.10までの約4週間インドに行ってきた。
初の海外旅行、それもインドってことでどうなることやらって感じだったけど特に身体も壊すことなく、騙されることもなく無事に終えた。
結論からいうとインド旅はすごいオススメ!日本の常識でインドに行くと、まるで異世界に行くようなもの。笑
毎瞬毎瞬鳴り止まないクラクション、糞とゴミだらけの道路。万華鏡のようなきらびやからなサリーを身にまとい歩く女性たち、牛、犬、羊、ラクダ、猿、象、そして、インド人、、、
そんな中で4週間いろんなところに行き、感じたこと、わかったことを振り返って見た!
ひとつめ。
お金は『今』を楽しむために使うもの。
やっぱり異国だし何かあった時のために、と思って色々な場面でお金を出し渋ることがよくあった。
そんな時インド人はいう。「いまを楽しむためにお金を使わないでいつ使うんだ!」そう言うのは、おそらくただ観光客の俺たちにおかねをつかってほしいから。笑
でもそのたびに「たしかに!」ってなった。生きている中で、これがしたい!あれをしたい!ってなることは多々あるけど、「お金をそんなに使っちゃダメ」って心の中で自分に言い聞かせてストップをかけちゃうことが多い。
でも「じゃあなんのために我慢してるの?」って聞かれるとなんでだろ?ってなる。日本で住んでるとお金を使うのを我慢して貯めることが美徳になってるから、その日本で生きいてると無意識に「お金はできるだけ貯める!」という思考になっちゃう。
お金自体は「悪」でも「善」でもなく、使う人がそれに価値観を与えている。貯めることも大事かも知らないけど、俺はインド人の「今」を楽しむために!っていう価値観がすき!
ふたつめ。
自分から心を開かないと物語は始まらない。
インドに行って思ったこと。
それは、
「挨拶大事!」
挨拶や目があった時にニッコリする、些細なことだけどそんなことから始まった物語が何度か。
「話しかけたいけど、話しかけてきまづくなったら嫌だな」だったり「嫌われるのが嫌だな」って思うことが多い。けどこちらから心を開いて挨拶をすると、ほとんどはあちらも心を開いてニッコリしてくれたり愛想をよく挨拶をしてくれたり、そしてそこから話すようになりそのままその日を一緒に行動することもあった。
「嫌われるかも」っていうのはただの被害妄想だってことがわかったし、もし嫌われたとしてもそれ物語。何かアクションを起こさないと何も起こらない。
いろんな国の人と話していると「日本人はシャイだからあまり話さない」って言う人がいて、国民全体がマイナスなイメージになっている!日本人=シャイ、が世界からのイメージ。
何か勿体無いなぁ。
みっつめ。
ありのままの自分を出すことで幸せになれる。
ふたつめと少し似ているかも。俺はインドの人が大好き!なぜかって、インド人はびっくりするくらい自分の感情に素直で誠実だから。
楽しい時は本当に楽しそうに笑い、怒っている時は怒る、めんどくさそうな時は本当にめんどくさそうでめんどくせぇオーラを全毛穴から放出している、そして働きたくないひとは働いていない。笑
自分の心の中の感情を溜めることなく、すぐに外に放出する。
接客ひとつ取っても、インドの人はすごい自然体で第一声が
「hi my friend!!」
笑
初めてあったけどもう友達。でもあっちが本当に友達のように接してくるから、こっちもすごい落ち着く。
日本だと、お客様は神様だから、すごいかしこまって丁寧に接するのが基本、だからこっちとしても丁寧に対応するようになっちゃって居心地がわるく感じることも。
これは文化の違いっていうのは理解しているけど、インドの接客はその人の「人間」がわかるし話してて発見があるし楽しい!
インドでは、「お客と店員」である前に、「人間と人間」として接する。
インド人同士の会話をぼーっと見ていたりすると、言葉が理解できないから内容はわからないんだけど、本当に楽しそうで幸せそう。表面だけの薄っぺらい会話じゃなくて、ありのままの自分で、ありのままの相手と話すからなのかなぁなんて推測。
そしてインドのおじさんたちは、日本に多い威厳や尊厳のある固そうなおじさんと違ってすごいピュアで純粋。話していて子供みたいだし楽しむことにすごい積極的でアグレッシブ
よっつめ。
死、に対する価値観。
バラナシでは火葬場に何度か行った。ガンジス川の前に木の枠で作られた焼却所があって、そこにガンジス川に浸されて、きらびやからな布にくるまれた遺体が運ばれて来て、火にかけられる。
初めて人が燃やされて灰になるところをみて、衝撃、というか、思い出す。
「ひとは生まれてきて、こうやって帰っていくんだ」って
そしてもうひとつ。
その燃やされる場面を見ていると、人間はちっぽけだなぁ、あっけないな〜って。
生きていく中で、いろんなものと出会い、いろんなことを経験して、感じて、悩んで、の繰り返しで大きなストーリーだけど、自分の身体が灰になるとき、そういうものも一緒に煙になって空に上がっていく。人間は生まれてきて死ぬ。それは一つのサイクルで、一連の自然な流れで当たり前なんだけど、火葬場を直に目をするとそれを実感。
火葬場を見学できたのはいい経験だなぁ。
そしてもっと強烈だったのが、火葬場を取り巻く環境。火葬場の周りには観光客も何人かいるけど、インド人の人たちもすごいいる。
おそらく遺人の関係者でもない。ぼーっと燃えている炎を見ているおじさんもいれば、火葬を前にしながら楽しそうに話し合うおじさんたち、、何人かで集まってマリファナを吸うおにいさんたち。
日本の常識をもってこの光景をみると、
「人がまさに焼かれている前でなんと不謹慎な!」
ってなる。でも人の死は必然的だし、こうやって和やかな雰囲気のなか送り出すスタイルも俺はすきだなぁって。
でも火葬場に女性はいなかった。なぜか聞いてみると女の人は涙を流しちゃうから。涙を流すと悲しい空気になっちゃうから。日本とは正反対な文化。どっちがいいとかはわかんないけど。
でもこの日本とインドの「死」に対する価値観はなんだろう。
俺なりに考えた!
日本で生活していると「死」は遠くて、どこか現実的じゃない。
基本的に衣食住には困らないし、もっというと、毎日食べるもの、着るものを「選ぶ」ことだってできる。日本で「死」といえば基本的には高齢になって寿命を全うした、という形。または高齢になってなにかの病気を患い、それが原因になり亡くなるか。
そして交通事故や、突発的な病気で若くして亡くなることは異例、のような雰囲気がある。
でもインドでは、死はすごい近い。
大多数の人は「今日を生きるため」にお金を得ようと働いているし、衣食住が確保されていない人がほとんど。次の食事がとれるかなんて運次第って人もいるだろうし、おそらくそんな人たちは「どんな食事をとろう」なんていう選択権はなく、一番安くて一番腹持ちのいいものを食べるんだろうな。
そしてインドでは事件による死も多いんだそう。インドの人と話していて、「お父さんはなにしてるの?」とか、「夫さんは今仕事?」ってきくと、「もう死んだよ、誰かに殺されちゃった」って帰ってくることがなんどかあった。
だからなのかな。
インドの人は「死」がいつ訪れるかわからないから、「今」をたのしむことに全力だし、余計なことに悩まない。
でもそれは日本でも同じ。「死」がいつくるかなんてわからない。確率はちがうけども。
当たり前に明日が来るって思うし、当たり前に何十年後の自分を想像して、あれこれ心配しちゃう。未来の自分に損か得かを行動指針にしちゃうこともある。
でも、そんなものは幻で、現実は「今」だけ!
今したいことをして、楽しみ、感動し、心を震わせることが「生きる」ことなのかも!
まとめ
そのときはきづかなったけど今回の旅で学ぶことは多かったなぁ。インドに導いてくれた出来事や人たちに感謝!
そしてこれからも、この人生でいろんなことを学べたらいいな!