駅歩いてた
先日、ある駅を歩いていた。
その日はよく歩いていたから、足がだるくなり疲れていて、どこかに座りたくなった。
座りたいけど、椅子がないなぁ。
と思いながらキョロキョロしていると、
駅の改札の近くの階段で座っている人がいた。
お、座っている人いるし俺も座ろう〜
座ってみた。
やっと座れた〜
でも普通座るところじゃないからみんながジロジロみているような。
ふと横を見てみてると、座っていたのは男の子で自分と同じくらいの18〜20くらいの子。
イヤホンで音楽を聴いていて、口ずさみながら、
小刻みに踊っていた。
あぁこの子ヤバイ系の子や。。
この大勢の人がいる駅の喧騒を前にしながら、完璧に自分の世界にいた。
その姿を見てなにかポッと嬉しくなって、ファイト〜!という謎の応援を心の中でしておいた。
最近、自分は世の中の常識をうまく自分スタイルにかえていけてる気がする。
「この世に生まれたからには、学校にいくか、仕事をしなければならない」
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「別に生きているだけでよくね?すごくね?」
「人に頼っちゃだめ」
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「人に頼ってもいいんじゃない?全部一人でしようとしなくてもいいんじゃない?」
みたいな。
最近、自分がどんな人かわかってきた。
今までは自分がどんなひとか知らないから
例えば本を読む時は、著者の軸で読んできた。
その分その世界観にどっぷり浸かることができた。
いまは、自分の軸?のようなものができてきて、本を読む時も自分軸でよむようになった。
だから、その世界観を一歩引いて眺めてる感じ。
この前、太宰を読んでそれをすごく実感した。
自分がわかってきたのは嬉しいけど、太宰的世界にどっぷり浸かれなくなるのは寂しいなぁ
これからはまた違う楽しみかたや!!
学校を辞めてからというもの、周りからの目はすこし冷たくなったけど、それに反してどんどん自分のことが好きになっている気がする。
別に何もしてきてないし、実績もないけど、セルフイメージ結構高め。
自惚れ、みたいなものなのかな?
かの三島由紀夫は、
不道徳教育講座
という本で、
岡本太郎を例に取り、『自惚れ』の重要性を説いていた。
岡本太郎は、死ぬまで、
『おれはピカソより絵が上手い!!!』
と断言していた。
それは、第三者からみたら、
いや〜それはないでしょう
と思うけど、本人からしたらそれが真実!なんだよなぁ。
その岡本太郎は、持ち前の自惚れ?で、太陽の塔、というキテレツなものを作り、大阪万博のシンボルとなって世界を驚かした。
例えば、二人の鼻の低い女の子がいて、
aちゃんは、
『はぁ、こんな酷い鼻いやになっちゃう、なんで親はこんな醜い鼻の私を生んだのかしら』
と、ストレスを抱え込む
bちゃんは、
『私この低い鼻が大好き!ヨーロッパのひとなんかは、高い鼻がいやでわざわざ低くするために削るのよ!ばかみたい!笑』
と、低い鼻をチャームポイントとして受け入れている。
のような感じで、捉え方次第で全く変わるもの。
できるだけストレスは抱えたくないよなぁ
病は氣から
っていうし。
謙遜ばかりの世の中だから、ちょっぴり自惚れのスパイスもたしてあげましょう^_^