ぐんぐん

アウトプット

プロット

久しぶりに、自分の気持ちを言葉にしてみようかな。

 

学校を辞めて、もう三ヶ月ほど経つ。

一般的な

『ダメな奴』

 になって、3ヶ月。

 

色々なご縁をいただき、今までにいかなったような場所などにいくことも。

 

そして初対面の人と話す。

 

社交辞令で聞いてくれる人もいれば、本当に自分のことを知ろうとして聞いてくれる人もいる。

 

『いまなにしてるの?』

 

って。

 

 

そんな時、心の中が、というか、心も含めた、自分の存在自体がザワザワ、ゾワゾワってする。

 

『なにもしてない。』

 

っていうのが怖い。

 

だって、何かをしていればしているほど、尊敬されるし、その裏も然り、だし。

 

そして、その度に、

『何かしなくちゃ』

って、まるで何かトンデモナイ怪物がおれの背中をめがけておいかけてくる、そんな焦りのような、肯定を懇願するような、感情になる。

 

 

SNSを開くと、みんな、自分で、自分の力で、何かをしている。

 

そんなのをみて、

うおおおすげーーー!

ってなるのと同時に

やっぱり、何かをしないと、yesをもらわないと、いきてます!のハンコを押してもらえないのかな。なんておもったりもする。

 

生きている!のハンコを押すのはもちろん自分なんだろうけど、

多くの人から多くの肯定を受け取ることを第一優先に生きるこの時代で(みんなとはいわない。)生きていくことってとっても難しい。

 

 

そんなトコロからは離れたい。

いやになる。

 

 

でも離れた途端、そのトコロに引き戻そうとする閉塞感に侵される。

みんなと同じ方向を見ていて、いやになって、振り返ってみると、みんなと目があって、睨んで自分に牙を

剥いてそうな、そんなイメージ。

 

俺はとっても弱いから、「今日を生きるコンパス」が必要。

 

本から、

音楽から、

映画から、

見知らぬ人から、

 

今日も生きるため、コンパスを探してくる。

 

でもこんなものたちは、何か、自分の奥深いところの、とっても、デリケートな部分から一時的に目をそらす哲学のガラクタだってことはしってる。

 

自分の中で見つけたこと以外全部偽物だ、てきなことを誰かがいっていた。

 

幸せを探すんじゃなくて、幸せを感じれる心を手に入れろって。

 

今の俺には、「情熱の薔薇」も、「生命の火」もない。