ぐんぐん

アウトプット

らんぼうさんワークショップ

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りえさん

いっちゃん

きみさん

はるなたちゃん

 

まずはありがとうございます!

 

 

らんぼうさんのあの蚊?のはなしがおもしろかったなぁ。

 

ゆーたらミラーニューロンやな。

 

正直、らんぼうさんの話で、うおーー!!!!!となることはなかった。

 

 

おれの感受性がにぶってきたかな?

 

 

でも、その後のシェア会がとても良かった。

 

難病を抱えた人。

セクシャルマイノリティーの人。

子供を育て上げたひと。

お医者さん。

 

みんな、違う歴史を背負って、でも核となるところは、何か一緒だった気がする。

 

みんながみんな、あったかいトコロを持ってるんだよね。

 

最後のデフノート?がとても良かった。

 

頭がいい

普通じゃない

謙虚

規格外

服装が変  ?笑

受け取る

行動力

生き方が希望

自然体

素直

 

というお褒めをもらった。

 

やっぱりいい意味でも、じぶんからみるじぶんと、たにんからみるじぶんは、ちがうんだなぁ。

 

特に嬉しかったのは

 

『自然体』

 

多分、おれはこういう考えがある。

 

何もできない、何もしないニートも、世の中ですごいと言われている、大企業の社長さんや有名人も、みんな本質的な価値はおんなじ何だと思う。でもやっぱり、見かけや他人からの評価や実績で他人をみちゃう。

 

だから、おれは、一人一人に価値を見出すことができる大人になりたいな。

 

みんな、職業や、収入や、程度の差はあれど、それは人生のある一時期のちょっとした判断でがらりと変わったんだと思う。

 

だから、おれは、みんなにそのまんまの俺でぶつかって、それで好きか嫌いか決めて欲しい笑

 

 

自然体、ここが俺のいいトコロなのか。

 

とっても嬉しい。

 

 

 

 

駅歩いてた

先日、ある駅を歩いていた。

 

その日はよく歩いていたから、足がだるくなり疲れていて、どこかに座りたくなった。

 

座りたいけど、椅子がないなぁ。

 

と思いながらキョロキョロしていると、

 

駅の改札の近くの階段で座っている人がいた。

 

お、座っている人いるし俺も座ろう〜

 

座ってみた。

 

やっと座れた〜

 

でも普通座るところじゃないからみんながジロジロみているような。

 

ふと横を見てみてると、座っていたのは男の子で自分と同じくらいの18〜20くらいの子。

 

イヤホンで音楽を聴いていて、口ずさみながら、

小刻みに踊っていた。

 

あぁこの子ヤバイ系の子や。。

 

この大勢の人がいる駅の喧騒を前にしながら、完璧に自分の世界にいた。

 

その姿を見てなにかポッと嬉しくなって、ファイト〜!という謎の応援を心の中でしておいた。

 

最近、自分は世の中の常識をうまく自分スタイルにかえていけてる気がする。

 

 

「この世に生まれたからには、学校にいくか、仕事をしなければならない」

👇

「別に生きているだけでよくね?すごくね?」

 

「人に頼っちゃだめ」

👇

「人に頼ってもいいんじゃない?全部一人でしようとしなくてもいいんじゃない?」

 

みたいな。

 

最近、自分がどんな人かわかってきた。

 

今までは自分がどんなひとか知らないから

例えば本を読む時は、著者の軸で読んできた。

 

その分その世界観にどっぷり浸かることができた。

 

いまは、自分の軸?のようなものができてきて、本を読む時も自分軸でよむようになった。

 

だから、その世界観を一歩引いて眺めてる感じ。

 

この前、太宰を読んでそれをすごく実感した。

 

自分がわかってきたのは嬉しいけど、太宰的世界にどっぷり浸かれなくなるのは寂しいなぁ

 

これからはまた違う楽しみかたや!!

 

学校を辞めてからというもの、周りからの目はすこし冷たくなったけど、それに反してどんどん自分のことが好きになっている気がする。

 

別に何もしてきてないし、実績もないけど、セルフイメージ結構高め。

 

自惚れ、みたいなものなのかな?

 

かの三島由紀夫は、

不道徳教育講座

という本で、

 

岡本太郎を例に取り、『自惚れ』の重要性を説いていた。

 

岡本太郎は、死ぬまで、

『おれはピカソより絵が上手い!!!』

と断言していた。

 

それは、第三者からみたら、

いや〜それはないでしょう

と思うけど、本人からしたらそれが真実!なんだよなぁ。

 

その岡本太郎は、持ち前の自惚れ?で、太陽の塔、というキテレツなものを作り、大阪万博のシンボルとなって世界を驚かした。

 

例えば、二人の鼻の低い女の子がいて、

aちゃんは、

『はぁ、こんな酷い鼻いやになっちゃう、なんで親はこんな醜い鼻の私を生んだのかしら』

と、ストレスを抱え込む

 

bちゃんは、

『私この低い鼻が大好き!ヨーロッパのひとなんかは、高い鼻がいやでわざわざ低くするために削るのよ!ばかみたい!笑』

と、低い鼻をチャームポイントとして受け入れている。

 

のような感じで、捉え方次第で全く変わるもの。

できるだけストレスは抱えたくないよなぁ

 

病は氣から

 

っていうし。

 

 

 

謙遜ばかりの世の中だから、ちょっぴり自惚れのスパイスもたしてあげましょう^_^

 

 

 

 

 

 

 

マイクロドース 2018 8 16

12.16

Eth lad 4分の1摂取

以前一枚摂取したときは、オーバードース?して、体もくねくねして頭もカオス状態で、だいぶヤバイ、やったけど、今回は4分の1なので、どうなるか楽しみ。

 

 

12.46

大阪城公園  特に変化なし

 

何か落ち着いている感じ

 

自然とサイケデリック音楽とのギャップが心地いい。

 

 

13.12

少し、きたような。

ビートルズの曲に対して、イメージが浮かぶように。

 

そして目を閉じると、その世界の方に引き込まれる。

というか、聞こえてくる音楽に対して自分が世界をつくっているような。

 

ほぼ目を閉じている状態。

 

13.40

なにも感じない。

ゆうと、少し瞼が重い感じ。

 

電車で天王寺まで移動

 

 

14.46

 

天王寺の市立美術館にて。

すこし、効果があるのか、一つ一つの作品の世界観の中にはいっていける。

とくに、

鍋島焼きの雪渓山水図のお皿には感動し、立ち止まってじーっとみた。

 

お皿一枚の中に表現された、一つのイメージ。

お寺がぽつんとたたずむ、雪の降る山。

 

美術館でみるそれは、どこかファンタジーのようで、懐かしいようで、不思議な気分になる。

 

呼吸が深くなり、スーっと立っている気分。

 

でも口の方は何か気持ち悪く、たまに吐き気がある。

 

全身の血のめぐりがわかる。

足の指先までいった血はまた心臓に戻ってきている。

 

 

15.30

 

おそらく、今回は、量が少なく意識も思考もしかくもばっちりだった。

 

ただ、すこし創造性がましてふわっとした感覚になる。でも何か物足りない感じ。

 

自分に合うドースをしる行程だね。

 

 

 

 

 

プロット

久しぶりに、自分の気持ちを言葉にしてみようかな。

 

学校を辞めて、もう三ヶ月ほど経つ。

一般的な

『ダメな奴』

 になって、3ヶ月。

 

色々なご縁をいただき、今までにいかなったような場所などにいくことも。

 

そして初対面の人と話す。

 

社交辞令で聞いてくれる人もいれば、本当に自分のことを知ろうとして聞いてくれる人もいる。

 

『いまなにしてるの?』

 

って。

 

 

そんな時、心の中が、というか、心も含めた、自分の存在自体がザワザワ、ゾワゾワってする。

 

『なにもしてない。』

 

っていうのが怖い。

 

だって、何かをしていればしているほど、尊敬されるし、その裏も然り、だし。

 

そして、その度に、

『何かしなくちゃ』

って、まるで何かトンデモナイ怪物がおれの背中をめがけておいかけてくる、そんな焦りのような、肯定を懇願するような、感情になる。

 

 

SNSを開くと、みんな、自分で、自分の力で、何かをしている。

 

そんなのをみて、

うおおおすげーーー!

ってなるのと同時に

やっぱり、何かをしないと、yesをもらわないと、いきてます!のハンコを押してもらえないのかな。なんておもったりもする。

 

生きている!のハンコを押すのはもちろん自分なんだろうけど、

多くの人から多くの肯定を受け取ることを第一優先に生きるこの時代で(みんなとはいわない。)生きていくことってとっても難しい。

 

 

そんなトコロからは離れたい。

いやになる。

 

 

でも離れた途端、そのトコロに引き戻そうとする閉塞感に侵される。

みんなと同じ方向を見ていて、いやになって、振り返ってみると、みんなと目があって、睨んで自分に牙を

剥いてそうな、そんなイメージ。

 

俺はとっても弱いから、「今日を生きるコンパス」が必要。

 

本から、

音楽から、

映画から、

見知らぬ人から、

 

今日も生きるため、コンパスを探してくる。

 

でもこんなものたちは、何か、自分の奥深いところの、とっても、デリケートな部分から一時的に目をそらす哲学のガラクタだってことはしってる。

 

自分の中で見つけたこと以外全部偽物だ、てきなことを誰かがいっていた。

 

幸せを探すんじゃなくて、幸せを感じれる心を手に入れろって。

 

今の俺には、「情熱の薔薇」も、「生命の火」もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なーるほど!!!人生における「○○の法則」

 

 

「なんで生物によって寿命が違うんだろう?」

 

こんな疑問が前からうっすらあった。

 

例えば蝉って、地上に出てきてから約一週間しか生きることができない。

 

『めっちゃ可哀そうやな』

 

って思ってた。

 

一週間という期間を人間に置き換えてみると

 

生まれてきて、まだなくことしかできない。

 

この世界には、いろんな考え方の人がいて、いろんな肌の人がいて、いろんな宗教があって、いろいろな食べ物や飲み物があって、、、、、、

 

でももし人間の寿命が一週間だとしたら、その赤ちゃんはなにも、なーんにも知らないまま死んじゃうことになる。

 

たまたまこんな動画を見つけた。

 


【武田邦彦】神が全ての動物に平等に与えた『◯◯の法則』※コレに気づくと人生が豊かになります※

 

 

この武田さんの動画を見て、

 

「なーーーーるほど~」

 

とめっちゃ腑に落ちた。

 

武田さんは、象とネズミを例にした。

 

もちろん、個体差はあるけど

象の平均寿命は60年に対して、ネズミの平均寿命は2年って言われている。

 

以前の自分だと、

 

『象はネズミの30倍も人生経験が豊富なんだな~』

 

とか思ってた。

 

 

武田さん曰く…

 

人間の目から見ると、象の動きはゆっくりで、ネズミの動きは速い。

 

でもこれはあくまで、人間の目からみた話で、実際動く時の空気を切る総量とか、ごはんをとる回数は同じらしい。

 

同じことを、同じなだけする回数は、全生物同じ、ということ。

 

これを

 

経験数一定の法則

 

とよぶみたい。

 

むっちゃ武田さん言ってることむずかしい。。。。

 

簡単に言うと

 

「神様、とういうかクリエイターさんは、この地球上に生まれてくる全生物に、おなじだけの時間を与えたんじゃなく、おなじだけの経験を与えた」

 

ということ。

 

たしかに亀ってめちゃ長生きやけどめちゃ動き遅いもんなーー。

 

何万年生きる亀も、一週間しか生きない蝉も、ちゃんと

 

 

「ははぁ、人生とはこういうものか~」

 

って、なって地球からいなくなっていくんだろう!!

 

なんか安心したわ。

 

 

 

 

 

 

 

この法則を人間にあてて考えてみる、。

 

 

よくテレビで、100歳をこえている人たちにむけて、

 

「長生きで豊かですね~」

 

「長生きの秘訣は、ずばり何ですか!!」

 

 

とかある。

 

 

長寿=豊か、幸せ

 

の方程式。

 

 

俺は

 

100年、200年、1000年生きても

 

経験の密度がうすうすだったら、

 

豊かじゃない気がするな~と思う。

 

 

20年しかいきれなくても、自分の本当にしたいことをできたらその人生は豊かだろうし、

 

100年生きても何となく生きていると、豊かじゃないと思う。

 

 

 

 

この動画を見ておっもたことは、

 

「ちゃんと、自分の人生のこと考えて、まずは他人よりも自分のことを第一優先にして、自分にあう豊かさをもとめること」

 

 

がすごい大事だな!!!!!!

 

 

ということでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな空間があったらいいのになぁ。

朝、瞑想を久しぶりにちゃんとした。🧘‍♂️

ちゃんと、っていうのは、インドで買った瞑想マットの上に座って、膝に手を置いて、


「the 瞑想!」

みたいなやつ。



ここ最近、自分の環境が自分でもびっくりするほど変わってきている。
すごくいい方向に流れている気がしていて、ワクワクするんだけど、心の中でいろいろチグハグな状態が続いていて、疲れることがある。

だから、瞑想した!!

びっくりするくらい、心が落ち着いて、



「この美しい地球で生きていること」




に感謝することができた。






そして、





ここ最近、その気持ちを忘れていたことに気づいて




「ギクッ」

とした。







ふと考えた。



日頃のストレスから解放されて、

自然と呼吸が深くなる、

そして、

「この素晴らしい地球に生きていること」


を、思い出さしてくれる場所、というか、空間があればなぁ。







そう思っていると、瞑想中だけど、


自分が望む、空間の映像が頭に流れてきた。



モンゴルのゲルみたいな、テント⛺️。






大きさは、



東京ドーム2個分

(東京ドームの大きさとかわからんけど、建物の大きさって東京ドーム何個分かで言い表さないといけない暗黙の掟があると思ってる)


その中、


地面は芝生で、🍃








薄暗くて、






天井は、プラネタリウムみたいな、満天の星空で、









鼻から香る匂いは、ラベンダーや、フランキンセンスのような落ち着かせてくれる、呼吸が深くなるもの。



耳に心地いい穏やかな音楽が流れている。




そこには


瞑想する人たち


ヨガをする人たち


コワーキングスペースみたいに、パソコンを広げるひとたち


友達と静かに雑談している人たち


ぼーっと、天井を眺める人たち


そこにいる人たちは、その空間にいる間は、


ささやかな興奮

自然に心が溶けて、ぐーーんと沈むような落ち着きがある


その場所を出ると、


「この素晴らしい地球に生きていること」

に感動する。



そして、


自分がワクワクしているものや、本当にしたいことを

「やってみるか」

と思わせるような、肩の力を抜かせるような、

脱力感を感じさせてあげる。





こんな場所






こんな場所が








こんな場所があったらいいなぁ!!!!!!

前田祐二氏、朝倉裕介氏の対談。

題名としては
「20代をどう生きるか」

少しびっくりした。

その対談を聞きに来ている学生のほとんどは起業をしたいと思いっているらしい。

やはり、いまは、スタートアップやベンチャーが流行になっている。

その背景としては、資金調達が簡単になったことが大きなファクターとしてあるんだと思う。

本当に時代がかわったんだな。
イデアを出し合って、社会をよりよく、より楽しく、よりカジュアルにしていく時代に突入したんだなぁと。

起業家にも2タイプがあるらしい。

プロダクト型
ふっとしたアイデアを形にしていくタイプ。0から1を作り上げて、提供する。経営には興味がない。

ビジョン型
社会をよりよくしようと、社会の抱える不条理をなくそうとアイデアをひねるタイプ。




話は進み、2人の経営者が見る選考のポイントになった。

Showroom代表の前田祐二さんの見るポイントは以下の三つ。
・仮設思考力
・価値観や会社の概要への共鳴度
・愛の総量、共感度

やはり、ハイスキルを求めているのではなく、人間力が求められることが多くなってくるのだろう。

人々にサービスを提供する側としては、相手の立場で考えれる人間的器の大きさと、思考がストップせずに根気よく考え続けれることができる思考体力が必要だね。

また前田祐二さんは、学生からの質問「本を読む集中力が続かないが、どうされていますか?」について、以下の2ポイントを話した。

アウトプットを前提にインプットをする

どう行動に落とし込むかを考えて読む

考えて見ると、本を読むという行為自体、インプットに偏り過ぎていて、そのまま記憶の彼方に旅することが多い。


また、どう質問に対する朝倉さんの答え。

「集中できないってことは、読む必要がないんだと思う。本当に必要になった時は、自然と読めるようになるよ。」


それも一理あると思う。人はテスト直前になって、焦って、初めて勉強するものだし。