ぐんぐん

アウトプット

この時代に生きる 私たちの矛盾

ある本を読んでいると、心揺さぶられる詩に出逢った。

この素晴らしい詩をみなさんとシャアしたい!

ビルは空高くなったが 人の気は短くなり

高速道路は広くなったが 視野は狭くなり

お金は使っているが 得るものは少なく

たくさん物を買っているが 楽しみは少なくなっている




家は大きくなったが 家庭は小さくなり

より便利になったが 時間は前よりもない

たくさん学位を持っても センスはなく

知識は増えたが 決断することは少ない

専門家は大勢いるが 問題は増えている

薬もふえたが 健康状態は悪くなっている



飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し 笑うことは少なく

読むことは稀で テレビは長く見るが 祈ることはとても稀である

喋りすぎるが 愛することは稀であるどころか憎むことがおおすぎる



生計の立て方はは学んだが 人生は学んでいない

長生きするようになったが 長らく今を生きていない

月まで行き来出るのに 近所同士の争いは絶えない


空気を浄化し 魂を汚し

原子核を分裂させられるが 偏見は取りさることはできない

急ぐことは学んだが 待つことは覚えず

計画は増えたが 成し遂げられていない

たくさん書いているが 学びはせず

情報を手に入れ、多くのコンピュータを用意しているのに コミュニケーションはどんどん減っている

ファストフードで消化は遅く

体は大きいが 人格は小さく

利益に没頭し 人間関係は軽簿になっている

世界平和の時代と言われているのに 家族の争いは絶えず

レジャーは増えても 楽しみは少なく

たくさんの食べ物に恵まれても 栄養は少ない




夫婦で稼いでも 離婚もふえ

家は良くなってが、家庭は壊れている



忘れないでほしい

愛するものと過ごす時間を

それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい

すぐそばにいるひとを抱きしめることを

あなだがあたえることのできるこの唯一の宝物は一円もかかからない

忘れないでほしい

もう逢えないかもしれない人の手を握りその時間を慈しむことを

愛し

話し

あなたの心の中にあるかけがえのない思いを分かち合おう

人生はどれだけ呼吸をし続けるかで決まるのではない

どれだけ心の震える瞬間があるかだ

⤴︎

学校をやめるっていう選択肢もある

休学

去年、休学して、いろんなところに行って、いろんな人とあって、価値観がパァと広がった。
というよりは、なんていうんだろ。
大きな湖の、一滴の範囲の世界のことしか知らなかった。
知らなかったし、その一滴が、自分の中での全世界だった。

学校を卒業して、
就職して、
誰かと恋愛をして、
結婚をして、
子供ができて、
子供を育てて、
子供が旅立って、
仕事を退職して、
てもちぶさたになって、
公園でゲートボールなんてしたりしながら、
この世界からの旅立ちを意識しはじめて、
そして還っていく。

こうやって人々が歩んでいく。
とおもっていた。

でも休学の一年を通して、この用意された、整備された、道を歩んで行くことがすごく無味乾燥な気がするようになった。

自分のこのような価値観の変動には、色々な本たちが一役かってくれた。その中でもアルケミスト

「彼らは僕を信頼していて、もう自分たちの本能に従うことをすっかりわすれている」アルケミスト

「世界最大の嘘って何ですか?」
「それはこうじゃ、人は人生のある時点で、自分に起こってくることをコントロールできなくなり、宿命によって人生を支配されてしまうことだ」アルケミスト

「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりも辛いものだとお前の心にいってやるがよい。」 アルケミスト

「ほとんどの人は、世界を恐ろしい場所だとおもっています。そして、そう思うことによって、世界は本当に恐ろしい場所にかわってしまうのです」 アルケミスト

学校

そんなこんなで、学校に戻ってきた。
教室には30人くらいの人が詰め込まれていて、何か圧迫感がある。先生の口から出ることはアカデミックな、専門的な内容なこと。数式や専門用語がズラリ。以前と違って全然頭にはいらない。字、もはいらない。先生の声、もはいらない。そして授業中に本を読んじゃダメって人もいるし、トイレに行かせない先生もいる。

そしてそんな空間にいると、自分の中の「生命の火」みたいなものが、ぐーーんって低く、ちいさくなっていっていることをかんじる。

おれは、あんなところに行きたい、あんな本を読みたい、あのことを勉強したいのに、学校にいくと
「これこれを覚えておきなさい!」
だったり
「実験のレポートをいついつまでにやっておきなさい!」
って言ってくる。

今までは、自分の内側の声を聞かないふりをして、無視するふりをしてきた。(ふりしかできない)

でもこの前ふと思っちゃった。

「なにやってんだおれ。。」

その瞬間、怒りを感じたときみたいに、身体がボワァァって熱くなって、バッドエネルギーが全身を駆け巡って、叫びたくなった。


でも学校をやめた後を想像すると、とってもとってもとってもとってもめちゃくちゃ不安になる。

今までは「学生」という衣があった。けど学校をやめると、その衣を捨てて、1人の人間として社会とぶつかって行かないとだめだから。

そうすると、急に自信がなくなって、萎縮して、心配になる。不安になる。

「あぁ、学校続けた方が自分の気持ちとかは一旦置いといて、色々楽だよなぁ」

こんなことを心の中でつぶやく。

でも不安って感情は、何かにチャレンジしようとしたときに必ずついてくるもの。

不安を抱き抱えたい。
「お!おれいま不安感じてる!よっしゃ、チャレンジできてる!」
みたいな。笑


学校をやめるっていう選択肢

正直、確信を持って、やりたい!っていえることはない。

でも「やりたくないこと」「居心地の悪いもの」を貴重な時間をつかってわざわざする必要はないとおもってて。

だから、身勝手だけど
「これ!と思えるやりたいことはない。でも、興味のあるものはたくさんあるし、行ってみたいところも、したいこともたくさんある。だから自分を信じてあげたい。いつかこれ!と思える『なにか』がポッと現れるでしょ。」
というスタンス。

そんな理由なら、学校卒業してからでいいじゃん、後少し我慢しろよ、っていう意見が出るだろうけど、
「鉄は熱いうちに打て」
っていうし、いま感じていることや、いま興味を持てていることは、いま、しないとだめなような気がして。


Today is good day to die
今日は死ぬのにいい日だ。

これはネイティブアメリカンのデニスバンクスさんの言葉なんだけど、俺は毎日そんなことを言えるような1日1日を送りたい。

このまま二年間、学校に通い続けると、自分の心が機能不全になって、フニャフニャになりそうで、とっても怖い。

献血に行った。

 

前からいつも気になっていて、でもなぜか躊躇してる自分がいた。

 

 

血を抜かれる恐怖。
恥ずかしさ。
あとは時間がないから、という言い訳

 

 

でも、行ってよかった。

 

自分でこしらえた血を、見返りなしに提供する。


これは、最高のgive、だと思う。


だって、人の命をダイレクトに救うことができる。

 

 

献血場には列ができるほど、たくさんの人がいた。

 

制服をきた気弱そうな女子高校生、

笑顔がステキなおばさん、

体のガッチリしたおじさん、

 

 

みんなみんなふわ〜っと優しいオーラがあった。 

流れている空気がやわらかくて、居心地がよかった。

 

献血したあとは、とても清々しい気持ちになった。

 


親切やgiveは、された人じゃなくて、した人も救われる。

 

give&takeっていう言葉があるけど、takeはおまけみたいなもの、だと思っている。

 


こっちとしては、give.give.give。


こんな精神を育んで生きたい。


献血は大きな一歩になった。
#献血
#愛
#loveinaction

はじめてのデモとの遭遇。そして、参加。

 心斎橋でテクテク歩いていると、デモと遭遇した。

 

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                         お!デモやん!

 

ってなって、興奮した。

 

その主張が正解か間違いかは置いといて、自分の意見を表現することはかっこいいよね!!

 

口を開けてポカーンとみていた。そしてふと思った。

 

『参加してみるか』

 

そのデモは安倍さんに対する批判だった。

 

デモをする人たちは、おじいちゃんやおじさんばかり。

なにか、メラメラした、あの若者特有の血の通ったエネルギーがない。元気がないことはないんだけど、元気がない。

 

そして行き交う若者たちはそのデモを、白い目で、冷笑しているような感じ。

 

『なんかやってるよ』

みたいな。

 

 

 

ん〜虚しいよ!!!!

 

 

だって、おじいちゃんたちは、若い世代のために、これから国を担う若者を思って、デモをしている。

 

重い腰を起こして、声張って、雨の中、頑張ってる。

 

それを若者は冷笑してる。

『なにやってんだよwww』

って。

 

もっと俺たち世代が、政治を知って、意見持たないと。

 

正直、政治って何か、面倒臭そうだし、とっつきにくい印象。

 

だって、テレビでは政治のスキャンダル、カネの話ばっかり。

でもおれが思うに、これはメディアの洗脳。

 

政治は汚い、距離を置いたほうがいい、という考えを植え付けている。

 

正直この洗脳は大成功。

 

だっておれの周りで政治の話ししているやつなんていないもん。

 

このままじゃだめだろう!!!!!!!!!!!!!!って思った。

俺たち世代が政治の知識をえて、関わっていかないと、悪い人たちが好き勝手できる。

 

隠蔽、改竄、嘘、

 

あいつらの思う壺だ!!!

 

日本の生きる以上、国に対して必要最低限の責任をもつ。

 

インドにいるとき、韓国の友達と、中国の友達と話した。

あることがきっかけで政治の話になった。

 

2人は熱く、自分の国のことを熱をもって話していた。国を背負って堂々と意見していた。

 

おれはなにも言えなかった。

 

それに気づいた韓国の友達が言った。

 

『日本の若い人って政治に無関心だよね』

 

このままじゃあかんよな。

 

インターネットがあるんやから、やろうと思えばこの瞬間から公平な偏っていない、純粋な情報をえれる。

 

おれはこれから政治に対して、アグレッシブになろう!とおもった。

 

 

休学して、「無敵」状態になったのかも

 

無敵っていうけど、

「へ!!おれの相手になるやつなんていねーぜ!」

みたいな傲慢な汚らしい、よく使われる「無敵」の無敵じゃない。

 

インドから帰ってきて、すごく自分の中で変わったことがある。

 

それは人と話すとき。

 

 

 

すぐに心を開くことができるようになった。

 

そして 

 

一言二言はなすと、なぜかそのひとに対して妙だけど、すごく親近感が湧くように。

 

なんというか、今までは自分に自信がなくって、

自分のいいところも悪いところも全然しらなくて、

キラキラしている人や一生懸命なひとを見ると劣等感があった。

 

無意識に眼に映る人を勝手に評価して、

自分と照らし合わせて、

勝手に落ち込んだり、

優越感にひたったりしてた。

 

勝手にみんなを「敵」とみなして、

勝手に闘っていた。

 

でも色々な経験を積んでいくごとに、

自分がわかってきた。

ありのままの自分がすきになれるようになったし、

自分自身に対しても自然体にいれるようになった!

 

そして、人と勝手に比べて自分の存在意義とかを証明、というか確認、する必要がなくなった。

 

外側からじゃなく、自分の内側から、自分を肯定してあげれるようにもなった。

 

一年前の自分は幻の「敵」をこしらえて、

(敵は友達であったり、snsで見つける人であったり、ふと目にうつる他人であったり)

妬みや、羨ましいという気持ち、「不足」からくるネガティブな思考をブワ〜っと発していた。

 

でも、敵をこしらえる必要はない。心をオープンにすると、みんなすごい面白いひとばかりで、優しい人ばかり!

 

だからおれはいま、敵がいない、「無敵」状態!

 

そもそもこの地球上に敵なんていないのかも

 

 

 

 

 

 

 

前世ついて考えてみた

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この頃、スピリチュアルな本や人やモノにめちゃくちゃ惹きつけられる!

 

1年前まではこういうカテゴリーの存在すら知らなかったから不思議な気分。

 

そして今日、頭の中で「前世」だったり「今世の役割」について考えていた。

 

あることがきっかけでスピリチュアリストの江原さんの施術番組をみた。

 

人の内には「魂」があって、人それぞれに「今世の役割」があるらしい。

 

今世の役割を知るには、自分のクセだったり、趣味、惹かれるものがヒントになる。

 

そこで客観的に自分を分析して、考えてみた。

 

 

・読書がすき

・知らないところに行くのが好き

・旅がすき

・好奇心が人より強い気がする

 

また、

 

・人の苦しみに敏感なような気がする

 

 

➡︎知識欲、何かを得たい!欲が強く、また苦しみや痛みに敏感

  ➡︎前世では身体的または身分的に不自由な、束縛された環境に生きていて、知識欲はあってもそれを満たす手段がなかったのかも?

 

 

次!

 

・ファッションがすき

・料理がすき

・花が好き

・「しぶいもの」より「かわいいもの」に惹かれる笑

➡︎感性が女性の方に近い

  ➡︎俺の中にいる魂は、これまで女の人の中にいることがおおかったのかも?

 

次!

 

・歴史が好き

・特に、江戸時代、というか明治維新らへんに不思議と惹かれる

 

➡︎前世か、前前世では江戸時代に生きていた??

 

魂は生まれてくる時代も選ぶと思うんだけど、俺が生まれた時代は、有史以来最も変化の激しい時代と言われている。

 

その時代を選んで生まれてきたってことは、変化がすきで、トレンド好きなミーハーな魂なのかも。

 

だから今の時代の人が流行に敏感なのはなにも、風潮だからじゃなくて底にある魂がそもそもミーハーだからなんじゃないかな!

 

以前は、かっこいい人や、おしゃれな人、キラキラしている人を見ると、なぜか自分と比較して、不満に感じたり、マイナスの感情になることが多かった。

 

でも、人にはそれぞれの役割があることを知ると、そういう人たちを見ても「あの人はそういう役割なんだな〜」そして「自分の役割はなんだろう?」って考えるようになって、マイナスの感情は抱かなくなった。

 

たとえばアイドルをしている人は「人を幸せにするために生まれてきた」んだろうし、看護師さんや介護士さんをしている人は「人の苦しみや痛みを和らげるためにうまれてきた」んだろうな。

 

自分の前世を知り、役割を知ることができれば、もっとスムーズに人生の目的を理解して、それに沿って生きていくことができる。

 

そして何故か惹かれるものや、安らぎを与えるもの、ワクワクするものとであったとき、そこには今世の目的を知るヒントがあるのかも!

 

 

 

 

 

インドで感じたこと

 

 

2.16〜3.10までの約4週間インドに行ってきた。

 

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初の海外旅行、それもインドってことでどうなることやらって感じだったけど特に身体も壊すことなく、騙されることもなく無事に終えた。

 

結論からいうとインド旅はすごいオススメ!日本の常識でインドに行くと、まるで異世界に行くようなもの。笑

 

毎瞬毎瞬鳴り止まないクラクション、糞とゴミだらけの道路。万華鏡のようなきらびやからなサリーを身にまとい歩く女性たち、牛、犬、羊、ラクダ、猿、象、そして、インド人、、、

 

そんな中で4週間いろんなところに行き、感じたこと、わかったことを振り返って見た!

 

ひとつめ。

 

お金は『今』を楽しむために使うもの。 

 

やっぱり異国だし何かあった時のために、と思って色々な場面でお金を出し渋ることがよくあった。

 

そんな時インド人はいう。「いまを楽しむためにお金を使わないでいつ使うんだ!」そう言うのは、おそらくただ観光客の俺たちにおかねをつかってほしいから。笑

 

でもそのたびに「たしかに!」ってなった。生きている中で、これがしたい!あれをしたい!ってなることは多々あるけど、「お金をそんなに使っちゃダメ」って心の中で自分に言い聞かせてストップをかけちゃうことが多い。

 

でも「じゃあなんのために我慢してるの?」って聞かれるとなんでだろ?ってなる。日本で住んでるとお金を使うのを我慢して貯めることが美徳になってるから、その日本で生きいてると無意識に「お金はできるだけ貯める!」という思考になっちゃう。

 

お金自体は「悪」でも「善」でもなく、使う人がそれに価値観を与えている。貯めることも大事かも知らないけど、俺はインド人の「今」を楽しむために!っていう価値観がすき!

 

ふたつめ。

 

自分から心を開かないと物語は始まらない。

 

インドに行って思ったこと。

 

それは、

 

「挨拶大事!」

 

挨拶や目があった時にニッコリする、些細なことだけどそんなことから始まった物語が何度か。

 

「話しかけたいけど、話しかけてきまづくなったら嫌だな」だったり「嫌われるのが嫌だな」って思うことが多い。けどこちらから心を開いて挨拶をすると、ほとんどはあちらも心を開いてニッコリしてくれたり愛想をよく挨拶をしてくれたり、そしてそこから話すようになりそのままその日を一緒に行動することもあった。

 

「嫌われるかも」っていうのはただの被害妄想だってことがわかったし、もし嫌われたとしてもそれ物語。何かアクションを起こさないと何も起こらない。

 

いろんな国の人と話していると「日本人はシャイだからあまり話さない」って言う人がいて、国民全体がマイナスなイメージになっている!日本人=シャイ、が世界からのイメージ。

 

何か勿体無いなぁ。

 

みっつめ。

 

ありのままの自分を出すことで幸せになれる。

 

ふたつめと少し似ているかも。俺はインドの人が大好き!なぜかって、インド人はびっくりするくらい自分の感情に素直で誠実だから。

 

楽しい時は本当に楽しそうに笑い、怒っている時は怒る、めんどくさそうな時は本当にめんどくさそうでめんどくせぇオーラを全毛穴から放出している、そして働きたくないひとは働いていない。笑

 

自分の心の中の感情を溜めることなく、すぐに外に放出する。

 

接客ひとつ取っても、インドの人はすごい自然体で第一声が

 

「hi my friend!!」

 

 

初めてあったけどもう友達。でもあっちが本当に友達のように接してくるから、こっちもすごい落ち着く。

 

 

日本だと、お客様は神様だから、すごいかしこまって丁寧に接するのが基本、だからこっちとしても丁寧に対応するようになっちゃって居心地がわるく感じることも。

 

これは文化の違いっていうのは理解しているけど、インドの接客はその人の「人間」がわかるし話してて発見があるし楽しい!

 

インドでは、「お客と店員」である前に、「人間と人間」として接する。

 

インド人同士の会話をぼーっと見ていたりすると、言葉が理解できないから内容はわからないんだけど、本当に楽しそうで幸せそう。表面だけの薄っぺらい会話じゃなくて、ありのままの自分で、ありのままの相手と話すからなのかなぁなんて推測。

 

そしてインドのおじさんたちは、日本に多い威厳や尊厳のある固そうなおじさんと違ってすごいピュアで純粋。話していて子供みたいだし楽しむことにすごい積極的でアグレッシブ

 

 

よっつめ。

 

死、に対する価値観。

 

バラナシでは火葬場に何度か行った。ガンジス川の前に木の枠で作られた焼却所があって、そこにガンジス川に浸されて、きらびやからな布にくるまれた遺体が運ばれて来て、火にかけられる。

 

初めて人が燃やされて灰になるところをみて、衝撃、というか、思い出す。

 

「ひとは生まれてきて、こうやって帰っていくんだ」って

 

そしてもうひとつ。

 

その燃やされる場面を見ていると、人間はちっぽけだなぁ、あっけないな〜って。

 

生きていく中で、いろんなものと出会い、いろんなことを経験して、感じて、悩んで、の繰り返しで大きなストーリーだけど、自分の身体が灰になるとき、そういうものも一緒に煙になって空に上がっていく。人間は生まれてきて死ぬ。それは一つのサイクルで、一連の自然な流れで当たり前なんだけど、火葬場を直に目をするとそれを実感。

 

火葬場を見学できたのはいい経験だなぁ。

 

そしてもっと強烈だったのが、火葬場を取り巻く環境。火葬場の周りには観光客も何人かいるけど、インド人の人たちもすごいいる。

 

おそらく遺人の関係者でもない。ぼーっと燃えている炎を見ているおじさんもいれば、火葬を前にしながら楽しそうに話し合うおじさんたち、、何人かで集まってマリファナを吸うおにいさんたち。

 

日本の常識をもってこの光景をみると、 

 

「人がまさに焼かれている前でなんと不謹慎な!」

 

ってなる。でも人の死は必然的だし、こうやって和やかな雰囲気のなか送り出すスタイルも俺はすきだなぁって。

 

でも火葬場に女性はいなかった。なぜか聞いてみると女の人は涙を流しちゃうから。涙を流すと悲しい空気になっちゃうから。日本とは正反対な文化。どっちがいいとかはわかんないけど。

 

でもこの日本とインドの「死」に対する価値観はなんだろう。

 

俺なりに考えた!

 

日本で生活していると「死」は遠くて、どこか現実的じゃない。

 

基本的に衣食住には困らないし、もっというと、毎日食べるもの、着るものを「選ぶ」ことだってできる。日本で「死」といえば基本的には高齢になって寿命を全うした、という形。または高齢になってなにかの病気を患い、それが原因になり亡くなるか。

 

そして交通事故や、突発的な病気で若くして亡くなることは異例、のような雰囲気がある。

 

でもインドでは、死はすごい近い。

 

大多数の人は「今日を生きるため」にお金を得ようと働いているし、衣食住が確保されていない人がほとんど。次の食事がとれるかなんて運次第って人もいるだろうし、おそらくそんな人たちは「どんな食事をとろう」なんていう選択権はなく、一番安くて一番腹持ちのいいものを食べるんだろうな。

 

そしてインドでは事件による死も多いんだそう。インドの人と話していて、「お父さんはなにしてるの?」とか、「夫さんは今仕事?」ってきくと、「もう死んだよ、誰かに殺されちゃった」って帰ってくることがなんどかあった。

 

だからなのかな。

 

インドの人は「死」がいつ訪れるかわからないから、「今」をたのしむことに全力だし、余計なことに悩まない。

 

でもそれは日本でも同じ。「死」がいつくるかなんてわからない。確率はちがうけども。

 

当たり前に明日が来るって思うし、当たり前に何十年後の自分を想像して、あれこれ心配しちゃう。未来の自分に損か得かを行動指針にしちゃうこともある。

 

でも、そんなものは幻で、現実は「今」だけ!

今したいことをして、楽しみ、感動し、心を震わせることが「生きる」ことなのかも!

 

まとめ

 

そのときはきづかなったけど今回の旅で学ぶことは多かったなぁ。インドに導いてくれた出来事や人たちに感謝!

 

そしてこれからも、この人生でいろんなことを学べたらいいな!